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師走の富士に雨。今年で6回目を迎えたニスモ・フェスティバルだが、初めての雨模様となった。ニスモの佐々木健一社長はスタンドのほうを見ながら、「あいにくのお天気なのに、こんなにたくさんのお客様が集まってくださって、ありがたいことです」と話した。夜明け前から本当に多くの日産&ニスモ、そしてモータースポーツファンが集まっていた。その数、4万9000人。当日、会場の富士スピードウェイに到着したともまるは、すでに正面ゲートから入ることができず、東側のゲートから入ることになった。ゲートを入り、グランドスタンドに向かって坂を登って行くと、道の両側に駐車されているGT-Rが目を引いた。とくにR32が縦列して並ぶ姿に、グループA最終戦を思い出していた。あのR32 GT-Rであふれ返ったFISCOは忘れることはできない。ずうっと並んでいくGT-Rのなかに、R33/R34を見つけながら時間の経過と、そして日産&ニスモ・ファンの多さと熱意を感じていた。佐々木社長も同じ気持ちを感じていらしたのだろう。
グランドスタンドに掲げられた「ありがとう 星野一義選手」といった横断幕を見ながら、この雨は現役を引退される星野選手に対するこみ上げてくる熱い涙雨だと確信した。ウエットコンディションのなか、星野選手はドライブを続ける。水溜まりに思い切り入って行き、大きく水しぶきが跳ぶ。いったい、この体力はどこからくるのだろう。そして、これだけの走りをみせてくれる星野選手は、本当に現役を引退してしまうのか。相変わらず降り続く涙雨のなか、星野選手の気合いを感じていた。 |
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ドライブされたマシンはすべて星野選手にとって、そしてファンである私たちにとって思い出深いものであった。「ニチラ」と描かれたシルビアも、トリコロールのR92CPも、もちろん数々のスカイラインも。しかし、なんといってもR32 GT-Rほど印象に残るマシンはないと思う。日産が当時もつ技術のすべてを注ぎ込んで誕生させ、日本のレース史に伝説として残るR32型スカイラインGT-R。この伝説に欠かせないのが、ゼッケン12番のカルソニック・スカイラインと星野選手であったと思う。そしてR32 GT-Rの復活後、GT-RはR33/R34と進化して、活躍の場もル・マンやツーリングカー選手権などと、星野選手とGT-Rの活躍は続いていくことになったのだ。
こう考えながら、日本のレースの歴史、そして日産のレースの歴史を星野選手を切り口に、もう一度振り返ってみたいと思った。星野選手はGT-Rでデビューし、最後のマシンもGT-Rだった。そしてここ、富士でデビューをし、富士で引退される。FISCOも来年から大幅なリニューアルになるとのこと。星野選手と深くかかわり合い、そして思い出も深い富士のこのコースでのラストランを、同じ瞬間に立ち会うことができた私たちは幸せ者なのだと感じた。
最後に、星野選手がファンにメッセージを送った。それは感謝の言葉だった。星野選手は日本一速い男、そして日本のレースを背負っていたひとりであったにもかかわらず、ファンの気持ちを理解してくれるドライバーだったと思う。そして同志のドライバーたちによって、胴上げされた。もうその頃には冷たい涙雨も上がっていた。これはファン/ドライバー仲間、富士にいる全員の気持ちの表われなのだろうと思った。ありがとう星野一義選手。 |
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日本一速い男がスカイラインと共に闘った18年、95戦の全軌跡
BNR32が打ち立てた29連勝の金字塔、BCNR33がル・マンで知らしめた強さ、BNR34が陥った苦闘と試練のドラマ、GT-Rは星野一義の人生そのものだった |
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